富岡 鉄斎
昨日、訪問診療先のご自宅で掛け軸を目にしました。話を伺うと富岡鉄斎作だと言う。名前は聞いたことがあったが、その領域は疎いので、ネットで検索することとした。
富岡鉄斎は、明治・大正期の文人画家、儒学者。日本最後の文人と謳われる。今日で、これほど世界的に評価されている近代日本画家は鉄斎以外はいないといってもいい。しかし、鉄斎自身は生涯儒学に勤しみ、自らの事を画家と呼ぶことを非常に嫌っていた。
また読書を好み、多くの本から学び、自らの人間性を高めることに勤しんでいた。彼は生涯で古今東西の書を数万冊読んだとも言われている。これほどの経験より鉄斎がただの画家ではなく文人画家と言われるに至るのである。
今日、鉄斎の残した作品は膨大な量に達するが、その更に何十倍もの偽物が出回っているらしい。識者を持ってしても、本物の鉄斎の作品を見抜くのは至難の業だそうだ。ネットで検索してみたが、同じ掛け軸は見出せなかった。どうか、これは贋作ではなく本物であることを願いたいものだ.....。
追記:漢文の意味もネットで調べてみました。興味のある方は御一読あれ!
『書き下し文』 劉伶酒を病みて渇甚だしく、婦に従って酒を求む。 婦、酒を捐(す)て、器を毀(こぼ)ち、涕泣(ていきゅう)して諫めて曰く、 君が飲太だ過ぎたり。 摂生の道に非ず。 必ず宜しく之を断つべし、と。 伶曰く、甚だ善し。 我は自ら禁ずること能はず、唯マサ(冨にツ)に鬼神に祈り、自ら誓つて之を断つべきのみ。 便ち酒肉を具ふべし、と。 婦曰く、敬んで命を聞く、と。 酒肉を神前に供へ、伶に請ひて祝誓(しゅくせい)せしむ。 伶は跪(ひざまづ)きて祈りて曰く、 天、劉伶を生み、酒を以て名を爲さしむ。 一飲一斛、五斗にして酲(てい)を解く。 婦人の言は慎んで聴く可からず、と。 便ち酒を引き肉を進め、隗然として已に醉ひたり。 『現代語訳』 劉伶は宿酔い(ふつかよい)で、ひどくのどがかわき、妻に酒を求めた。 妻は酒を棄て酒器をこわして、泣きながらいさめた。 「旦那さまのお酒は度を越しています。 摂生の道にはずれております。 どうぞぜひおやめください。」 伶がいった。 「なるほど結構だ。 わしは自分ではやめることが出来ないから、神にいのって酒を断つ誓いをしよう。 すぐに御神酒と肉を用意してくれ。」 妻は「かしこまりました。」 といって酒肉を神前にそなえ、伶に誓いをたてるよううながすと、伶は跪いていのった。 「天はこの世に劉伶を生み、酒飲みで名をなさしめた。 一たび飲めば一石、酲(ふつかよい)を払うには五斗。 女房の言葉など、決して聴くまいぞ。」 そこで酒を引き寄せて肉を食らい、すっかり酔っ払ってしまった。